6つの魅力

「住む」を楽しく深める秋葉区の財産

人生の始まりと終わりにいたい場所

菩提寺山の頂上から遠くに見える佐渡島や近隣の各方面の景色に新潟や日本らしさがあって、きっとその“新潟らしさ”“日本らしさ”というのは、自然色の豊富さであるように思う。山や川、空や空に浮かぶ雲、まちの中の木々が表す曖昧な説明のつかない色。“美しさ”とは違う古来から慣れ親しんだ淡く地味な色。

住んでいるときにはその豊かさにどんな価値があるのか実感として感じられないかもしれない。
けれど帰ってきたときに「なんかいいところなんだな」と見直せるひとつのきっかけであることは確かである。

山の中ですれ違う人たちは年配の方が多い。そこには「山に入る」という日常の風景があり、それは「健康」というキーワードに自然と繋がっていく。里山というのは人の手が入っている森林という定義が示すように、ほどよく私たちの呼吸と波長があう自然環境なのだと思う。“親しみやすさ”というのはモノでも人でも環境であっても、向き合う者の心を穏やかに豊かに育んでくれるひとつの要素。“豊かな自然環境”というものは、住んでいるときにはその豊かさにどんな価値があるのか実感として感じられないかもしれない。けれど帰ってきたときに「なんかいいところなんだな」と見直せるひとつのきっかけであることは確かである。大学や就職などで若い時には都会へでていろんな体験を得るのもいい。しかし、幼少と老いの時期にはこの土地の穏やかで豊かな自然環境が、人間らしい暮らしの要素として活かされる。それは、”人生の始まりと終わりにいたい場所”としてもみることができる。幼く純粋な感性をじっくり豊かに育み、再び自然の良さがわかる歳になってこの地で暮らす。

ここは 、人生の始まりと終わりにいたい場所。

風景としてでも、体験としてでも、里山に触れた暮らしの経験は、ひとりひとりの記憶の中にしみ込み、見えないかたちで感性や感覚に影響していく。それは、四季の移り変わりとともに変化していく自然環境を“記憶として知っている”ということ。意識をしなくても、山の風景、一面に広がる田畑の風景、そこに差す光の加減、その景色に囲まれて暮らしたという事実、それが記憶としてそれぞれの心の糧となっていく。人生は長い。その長い人生を全てほどよい自然環境と共に生きるのもよい。また、そうでなくてもよい。

秋葉区という地域には、そういうちょっとのんびりとした時間の“隙”がある。

地域のことを考えたとき、暮らし方について考えたとき、“愛着”という言葉が浮かんでくる。
愛着とは 「慣れ親しんだ物事に深く心を引かれ、離れがたく感じる事。」 と辞書にあった。

とあるひとつの人生を、どんな環境で始め、どんな暮らしのなかで閉じていくか。
ここは 、人生の始まりと終わりにいたい場所。

はじまりのときに優しさと強さで包みこんでくれる自然環境と、帰ってきたものを温かく迎えてくれる変わらぬ環境。秋葉区という地域には、そういうちょっとのんびりとした時間の“隙”がある。