コラム

日々の暮らしはいくつもの風景の連続でできている。
カーテンを透けてくる朝の光、
家族の靴が並ぶ玄関、
庭の木々に降る雨、
家族の噐が並ぶ食器棚、
夕暮れに灯る窓の灯り、
盆暮れ正月に集まる親戚の顔。

そして、それぞれの暮しは、地域の風景の連続の中にある。
アスファルトの道のかすれた白線、
商店街の看板、
昔ながらのスーパーや食堂、
街路樹の向こうの駅に入り込む電車、
公園で遊ぶ子供たち、
年に一度の祭、
田畑一面に降り積もる雪と白銀の世界。

毎日、毎日、0.1mmぐらいのほんの少しずつの変化をしながら流れていく。

AKIHAをつくる風景は、特別なものは何もなく、自然とともに繰り返し流れてきた。繰り返す中で、見えなくなっていったものもあれば、残り続けるものもあり、また新しく色をつけてくる風景もある。

秋葉区を歩いていると、いつでも少し懐かしい感じがする。
その“懐かしさ”はどこから来るのでしょうか。
ただ単に古いお店がある、とか、昔からの自然が多い、とか、まちがコンパクトだ、とか。
でもそれだけではないと、古津八幡山遺跡の地に立ってふと思った。

− AKIHAの空は広い。−
どんな時代も一番変わらないのは、ここに広がる空なのかもしれない。
そして、空が広いと感じるには、広く伸びやかな大地が必要である。

穏やかに伸びた大地には、きっと穏やかに永く命が繰り返されていく。

この広い空を、同じ場所で太古の昔に生きた人も見ていたのでしょうか。
夜の空に浮かぶ星や月に人々の幸せを願っていたのでしょうか。
長い歴史の果てに辿り着いた私たちの暮らしは、変わらず広い空に包まれ、そこで営まれる生活は淡々と穏やかに慎ましく繰り返されていく。

AKIHAの地に来て、なにかホッとするような、なんだか懐かしい気持ちになったならば、それはきっと太古から続く命の記憶の中に、AKIHAの空があったのかもしれない。