歴史×住む「命」

だれでも、何故だか心がぎゅっと惹かれる風景、というものが多少なりともあるんじゃないかと思う。心が惹かれる、とまではいかなくとも、なんだか気になる、例えば、“海を見ると切なくなる”“川のうねりに懐かしさを感じる”“あの丘のうえから見える景色が好きだ”“遠くに見える山並みにテンションがあがる”とか“祭の山車やお囃子に血が騒ぐ”とか、理由もなく目の前の風景に対して何か感じることってある。きっとそれは「命の記憶」。

古津八幡山遺跡へ続く丘を登り、縄文時代に生きた人が立っていた場所と同じ場所に立って、わたしたちはわたしたちの暮らしと続いてきた命について思いを馳せる。遥か昔に生きた人々から、今を生きる私たちを繋げてくれるのは、土地に染み込んだ歴史の跡。

新津は石油の里。菩提寺山を登る途中、産油量日本一となった大正6年から採掘が終了する平成8年までの期間活躍した採油装置や掘削機が、今も見ることができる。そこで確かに動いていた機械と、人間の知恵と労働の痕跡。

これまでに、どれだけの人の命が続いて自分が今ここで生きているのか。そして、自分が暮らす地域でどれだけの人の生活が繰り広げられてきたのか。今、自分が立っている場所、見えている景色の中で、遥か昔の時代に生きていた人達は何を考え、何を創り、何を見て来たのか。

長い時間をかけて、まちの風景は変わり、今を生きるわたしたちは、日々、命の記憶の歴史を自ら更新していく。

基礎情報 ― 秋葉区と「歴史」

◼ 石油
私たちが住む地球が誕生したのは45億年もの昔。そして現在に至るまでの長く神秘に満ちあふれた地球の歴史物語で石油ほど重要な資源はないと思われます。石油が文字として歴史に現れるのが「日本書紀」で「越国から燃土、燃水が献上された」とありました。この越国が秋葉区の新津地区であったかは不明ですが、明治時代は全国有数の出油地帯でした。大正6年には年産12万キロリットルで、産油量日本一となり、第二次の全盛時を迎えましたが、その後は産油量も減少し、平成8年で採掘が終了しました。今でも新津油田には石油櫓が残り、石油王中野貫一の住宅や関連施設が当時の面影を偲ぶことができます。

◼ 遺跡
新津丘陵の北端に近い台地状の尾根に立地する縄文時代の集落は秋葉遺跡とよばれます。標高は20mほどです。縄文時代中・後期の遺跡として知られていました。平成11(1999)年、宅地造成に際して、旧新津市教育委員会が発掘調査(62㎡)を行い、2棟以上の竪穴住居の痕跡と土坑数基を検出しました。土器(ゴミ)捨て場とみられる斜面からは大量の遺物が発見され、その遺物量は平箱120箱に及びます。この調査では主に中期初頭~後期前葉の土器が出土しました。出土した土器の中では、中期中葉の王冠型土器が復元されました。遺物の出土量や内容から、新津丘陵先端に位置する縄文時代の拠点集落の一つと考えられます。なお、遺物は新潟市埋蔵文化財センターに保管されています。


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