川×住む「豊かさ」

秋葉の地には6つの川が流れている。
信濃川阿賀野川、それを繋ぐ小阿賀野川に、そこへ合流する能代川
まちのど真ん中を流れるかつては能代川であった新津川
そして、阿賀野川に流れ込む早出川。

川と文化の関係は深い、と教えてもらったけれど、それは、人間にとって水という存在が必要不可欠であるから、という理由がある。また、モノや情報は船に乗せられて、川の流れとともに伝わっていった。「わたしたちの暮らしは文化の発達とともに豊かになった。」というフレーズはよく聞くけれど、「豊か」という言葉にはどんな意味があるのだろうか。そして、その「豊か」とはどんな状態なんだろうか。
と、川沿いの遊歩道を歩きながら考えた。

川がある、ということは、長い歴史のなかで水と向き合ってきた生活や暮らしがあって、今何気なく流れているこののどかな川の風景は必ずしもあたりまえではない。

川があるから、暮らしのなかに遊びが生まれ、川があるから、水との闘いがあった。
川という存在は常に、そこで暮らす人々に、恵みと厳しさをもたらしてきた。

「豊かさ」というのは、手放しで手に入れられるものではなく、自然環境のなかでの生活体験、隣人や地域との交流によって育まれる知恵や考え方のひとつのかたちなのだと思う。日々身の回りに流れ辿りついてくるものに興味を持ち、感謝し、そしてそれをよりよく社会へ活かしていくということの「循環」の果てに「豊かさ」のかたちが見えてくる。暮らしのなかで、良いものも悪いものも絶えず流れて行く。その循環のなかで何を選び取れるか、川があるところに発展していく文化には、人間らしく、他者と関わりあいながら暮らしていくことの知恵がある。

基礎情報 ― 「秋葉区を流れる主な川」

信濃川
信濃川は、長野、埼玉、山梨県境の甲武信ケ岳(こぶしがたけ)を水源とし、千曲川(ちくまがわ)として長野県佐久平(さくだいら)を流れ、途中で槍ヶ岳(やりがたけ)を水源とする犀川(さいかわ)と長野市で合流した後、新潟県境からは信濃川と名を変えて日本海へと注ぎます。その長さは367kmで日本最長、流域面積は利根川、石狩川に次いで第3位の日本有数の河川です。信濃川は新潟県の人々にとってなくてはならない川である一方で、たびたび洪水を引き起こす恐ろしい存在でした。しかし「横田切れ」とよばれる大洪水をきっかけに行われた大河津分水路(おおこうずぶんすいろ)の改修工事が大正11年に完成すると、洪水による被害は減り、多くの人が救われました。

阿賀野川
阿賀野川は日本で10番目に長く、水量も豊富な川です。阿賀野川の長さは、210kmもあります。1年間に流れ出る水の量は日本で3番目に多く、猪苗代湖3.3杯分にあたる130億トンもの水が流れ出ています。また、流域の広さをみると、日本で8番目に広い7,710平方kmあり、新潟県全体の面積の約56パーセントにあたる広さを持っています。

小阿賀野川
小阿賀野川の歴史は古く、1750年代に新発田藩が阿賀野川と信濃川を結ぶ要路として、支川を拡幅改修してつくられたといわれています。その後、会津地方の水上交通には欠かせないものとなり阿賀野川の水量を調節する重要な役割を果たしてきまし。長いあいだ、阿賀野川の洪水の脅威にさらされていた小阿賀野川も幾度かの改修を重ね現在にいたっています。

能代川、新津川
能代川は、小阿賀野川(こあがのがわ)へ合流する延長33.4kmの信濃川水系の河川です。以前、この川は通称九十九曲川(くじゅうくまがりがわ)と呼ばれるほど大変屈曲が多く、しかも標高差が4~5m以下で勾配が緩やかなため、ひとたび水量が増加すると川が氾濫し、これまで何度となく洪水を引き起こしてきました。そこで、こうした水害を防ぐために大規模な改修工事が行われ、昭和58年現在の能代川に生まれ変わりました。一方、これにより市街地を流れていた旧川は新津川と呼ばれ、現在も秋葉山及び市街地の排水を受け持つとともに、イベント会場や遊歩道など憩いの場としての整備が進められています。


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